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2014/02/01

映画「永遠の0」

先日、映画「永遠の0」を見に行きました。

司法浪人中の主人公とその姉が祖母の葬儀で祖父が実の祖父でなく、本当の祖父が別にいて太平洋線の零戦による特攻で死亡したことを知る。
主人公とその姉は実の祖父がどんな人間だったか調べていく....
といった話です。
NHKでたまに放送されている「ファミリーヒストリー」を思い浮かべました。
あれは子孫が調べるのではなくスタッフが調べますが...。

恐らく火葬場か葬儀場での葬儀後の食事ソーンで、刺身の握り寿司や揚げ物の盛り合わせが並んでいて「東京では葬儀でこういうものが出てくるものなの?」と驚きましたが、それはともかく本題へ。

最初は、実の祖父は「死を惜しんで逃げる」「臆病者であった」という証言が多くで僻む。
次第にそれが「家族(嫁と娘)への想い」から死にたくないというという事であり、「命の大切さを教わった」といった感じの証言が増えていく。
娘にはまだ1度しか会っていない状態です。

教官時代は実習生に対して「可」を中々出さない。
恐らく「まだ大して上手くないのに実戦に出て簡単に命を落としてほしくない。」という想いからでしょう。

戦局は悪化し、学生を動員して短い実習で実戦へ。

やがて特攻(飛行機ごと敵の軍艦等に突っ込む)が開始される。志願した若手が特攻で出て死亡、実の祖父のようなベテランは後方支援役で出撃して基地に戻ってくるといった感じです。
ある時、後方支援役であるはずの「命を惜しんでいた」実の祖父が特攻に志願して出撃。健闘するが死亡。
「将来有望な若手がこれ以上死んでいくのが我慢にならない」というのが理由なのではないかと想像しました。ベテランの自分が身代わった方が戦闘効果が高い。例え家族を犠牲にしてでも。
この身代わりは後の話に繋がるわけではありますが...。

戦争の悲劇です。
「もう戦争はするべきではない」「これ以上戦争で犠牲者を出してほしくない」と思いました。
(だからと言って、自衛隊はいらないとか、9条があるから大丈夫に違いないとか、戦争を避けるために他国の圧力に屈せればよいとかそういう事ではありません。)

自分の父方の祖父が元軍人(陸軍)で、太平洋戦争では満州で戦っています。
自分の祖父と同世代で、この映画と同じように祖母と父を残して太平洋戦争に行っていました。
自分は直接聞いた記憶がないのですが、父や母によると「ある日、自分が怪我だったかなんかで出撃できなり、代わりに他の人が行った。その代りに行った人が戦死した。本来なら自分が死んでいるはずだった。申し訳ないと思う。」といったことを何度か話していたそうです。

祖父はどういう思いで戦争に行っていたのだろう?
映画を見ながら、そんなことを思いました。
そんな感じの話は聞いた記憶がないし、その頃は学校の影響なのか左翼脳だったので話す気にならなかったのかもしれないし、もう亡くなってしまったので知る由はありません。(ちなみに祖母ももう亡くなっています)
有名人ならNHK「マイファミリーストーリー」で調べてもらえるかもしれませんが、逆にそこまでして知る必要はないのかもしれないしどうなんだろう。

どこかの監督が言っていたような「特攻隊を美化する映画」では決してなく「特攻隊の悲劇を描く反戦映画」だと思います。また、自分にとっては「記憶を0にしたい」ではなく「永遠に記憶に残しておきたい」映画でした。

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