京急ありがとうギャラリー号
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島原での旅を終え、自宅に帰る。
いや...、「家に帰るまでが遠足旅」だ!
長崎空港19:25発のANA 670便を予約しているため、長崎空港に向かう。
諫早駅の近くにある諫早ターミナルから長崎県営バスの長崎空港行に乗車する。
いわゆる観光型のバスを使用したリムジンバスだと思っていたら、各駅に停車する一般の路線バスで、高速道路も通らなかった。
前にしか扉がないバスで、普通の路線バスよりも椅子が豪華ではあったが。
諫早発車時点で乗客は2人しかおらず、途中で乗ってくる人も若干いたが、途中のバス停で自分以外の全員が下車し、自分1人になってしまった。
このまま空港まで自分1人かと思っていたら、大村ターミナルから3人ぐらい乗ってきてちょっと安心。
自分が乗る便はB747(500人以上乗れるジャンボジェット機)でほぼ満席、やや遅めの到着にはなるが飛行機に間に合う時間であったのに、「乗客が少ないなぁ」と思った。
長崎空港の利用者は、長崎市や佐世保辺りからの客が大半なのかな?
或いは、諫早辺りの人は車で行く人が多いのかな?
機材到着遅れ等により飛行機の発車が遅れましたが、無事自宅に到着。
島原の旅は以上です。
(完)
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島原城の入場券は、島原城の敷地内にある「観光復興記念館」「西望記念館」との共通入場券。
「観光復興記念館」にも行って見た。
2Fは展示室、1Fは映像ホールとなっている。
2Fの展示室、時間が無かったのでほとんど素通りしてしまったが...。
災害に関する展示物を取り囲むように、ひな祭りに関するものが特別展として展示されていた。(なので、災害に関する展示物はモノによってはよく見えない。)
ん...と...~
他に展示する場所が無いのかもしれないけど、観光復興記念館に見学に来る人はほとんどいないのかもしれないけど(特に地元の人は)、「これはちょっとひどいんじゃない?」と思いました。
本来の展示物のテーマがテーマだけに、こんな所に飾るべきものではないのではないかと思いました。
1Fの映像は良かったです。
時間がないので「西望記念館」はパスし、急いで島原駅に戻りました。
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島原駅から直ぐ近くに見える島原城に行く。
駅から近いのかなと思っていたら、遠かった。
駅から島原城に向かって歩くと島原城の堀にぶち当たり、「←300m 島原城」の標識が。
堀があるため、島原駅の反対側までぐるっと回らないと島原城には入れない。
あんまり時間がないのに...。
ぐるっと回って島原城に向かう。
※ で、後で知った事だが右に向かうとぐるっと回らなくても島原城に行けたらしい。
入場料を払い、島原城に入城する。
1階はキリシタン史料館。
これが結構良かった。
キリシタンが弾圧された時代(主に江戸時代)、隠れキリシタン達が一見仏具に見えるものにマリア等の姿を隠して信仰したという。それらの物が展示されていた。
そこまでしてでも信仰したというその事が、信仰心があまり無い自分としてはちょっと感心した。
歴史の教科書でもでてきた「踏み絵」も展示されていた。
その踏み絵を見て、中学時代の歴史の授業を思い出した。
その日はその「踏み絵」が関連する時代の授業で、先生が踏み絵の模造品を持ってきた。
で、その先生は「今から順番にこの踏み絵(の模造品)を回すので、踏みたい人は踏んでください」旨の事を言った。
で、回ってきた踏み絵をみんなが踏み出し、3人目ぐらいの人が踏み絵を思いっきり力を入れて踏み、踏み絵(の模造品)が真っ二つに割れた。
...今考えると、たとえ模造品だとはいえ、ひどいなぁと。
踏む方も踏む方だが ~自分も回ってきていたら踏んでいたと思う~、「踏んでも良い!」と言った先生はもっとどうかと。
キリスト教の信者がいたらどうしたのだろう。実はいたのかな? 本人はかなり傷ついたかもしれない。
そんな事を、展示物を見ながら思いました。
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展示室の見学を終え、展望塔に向かう。
ミュージアムショップの奥では雲仙普賢岳に関する写真展が行われていた。
何年も前の開催期間が書かれた紙の上に、「常設」の紙が貼られていた。ん...。
写真自体は良かったです。
「雲仙災害記念館」の見学を終え、国道上の「アリーナ前」バス停に向かう。
横断歩道の信号待ちを信号待ち中など、目の前でバスが通り過ぎてしまったら最悪だ..と思い急ぎ足でバス停の到着。
が~ん...。
運は自分の味方をしてくれなかった。
次のバスまで50分程度ある。
1つ前のバスは10分程度前だったようだ。
この寒空の中で50分待つのはきつすぎる。
鉄道の時刻を調べると、バスよりもだいぶ前に安徳駅から島原方面の列車があり、今から歩いても間に合う時間だったので、安徳駅まで歩く事にした。
鉄道・バス・フェリー1日乗り放題の「島鉄のんびり1500」を買ったので、一度ぐらいはバスにも乗ってみたかったです。
「雲仙災害記念館」の展示室に入場する。
ところで、何でこんな館名にしたんだろう。
「災害"復興"記念」ではなく、「"災害"記念」だからな。
災害にあったこと自体が良い出来事だったみたいだ。そりゃまぁ災害があったからこそこの建物ができ、観光資源になったのだから記念っつったら記念なのかもしれないけど、この館名をつける事に対して反対はなかったのだろうか。
だからなのか、パンフレットには愛称の「がまだすドーム」の文字が大きく書かれていており、「雲仙災害記念館」の文字は端に小さく書かれていた。
1990年に始まった雲仙普賢岳の平成噴火、そういう出来事があった事自体は覚えている。しかしながら、どんな感じの噴火であったが、どの程度の被害があったのか、正直な所すっかりと忘れていた。いや、当時あまり興味がなく、初めから知らなかったのかもしれない。
館内展示やその他Wikipedia等によると、火砕流と土石流による被害が主で、43人が死亡。一般住民の死者は4人で、報道関係者やその関係者の死者が大半。報道競争が過熱し、危険地域でもあった「定点」と呼ばれていた火砕流を正面から望める場所に火砕流が襲い、死亡した人が多いと言う。
報道関係者の死は自業自得のような気もするが、それにしても43人も亡くなってたんだ。知りませんでした。
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入場券を買い展示室の入口に行くと、展示物に何の興味もなさそうな雰囲気の小学生ぐらいの騒がしい団体が入口の前に整列していた。
あぁ~...これはバッドタイミング!!
これじゃぁゆっくり見物できないや。また、貴重な展示物で遊んでいる姿を見て、嫌な気分を味わってしまいそう。
団体さんがどこかに行ってから入場しようかと思っていたら、団体客よりも先に案内されてしまった。
入口で5分程度係員からの説明があった。団体客の前で団体客と一緒に説明を聞かなければならないかと思いきや、係員1人に自分1人(団体客は別だった)。これはこれでちょっと恥ずかしい。
で、係員からの説明を聞き、入口付近の展示物を見ていたら先ほどの団体客はいつの間にか館内からいなくなっていた。ん...早っ!!! 展示物は見ていかなかったのか? と思うほど。
上映時間になったので、「平成大噴火シアター」で映像を見る。
ややナレーション(古谷一行さん)のトーンが気になったが、良かった。
平成噴火の事が良く分かった。
その後にある「焼け尽くされた風景」の展示が衝撃的で、しばらく言葉を失った。
火砕流で被災したテレビカメラや電柱・バス停等が展示されている。
戦争で被爆した物と同じような状態になっている。
この部分を見るだけでも、雲仙災害記念館を見る価値があるのではないかと思う。
上映時間になったので、「島原大変劇場」でコンピュータで自動的に動く劇を見る。
寛政4年(1792年)に発生した噴火「島原大変肥後迷惑」に関する劇。
正直、眠くなってしまった。
そんなこんなしている内に、ここに来る前に記憶した「アリーナ前」バス停の、記憶範囲内の最終バスの発車時刻が近づいてきてしまった。その次のバスの時刻は何分だろう。1時間の1本強の運転だったので、時間を調べて行かないと寒空の中で長々とバスを待つことになってしまう。展示室に入る前に「間に合わないかもしれないなぁ~」と思ったので、バスの発車時刻がどこかに貼っていないか探したのだが、見つけられなかった。
ちょっと迷ったが、まだ見ていない展示物が多かったので自分の運を信じ、記憶範囲内の最終バスに乗ることを諦め、ゆっくりと残りの展示物を見学した。
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安徳駅から「雲仙災害記念館」まで歩く。
徒歩15分程度。
途中国道上のバス停(アリーナ前)で、帰りのバスの時刻を記憶する。安徳駅よりもバス停の方が「雲仙災害記念館」からだいぶ近い。
この日は風が強くて寒く、体がすっかり冷え切ってしまった。
「やっと着いた!」と思ったが、さらにその先にヘリコプターとジープが見えたので、我慢してその場所に行ってみた。
「なんでこんな所にこんなものが置いてあるんだ?」
雲仙普賢岳噴火時の災害救助で活躍した自衛隊のヘリコプターとジープとの事でした。
その直ぐ先で有明湾に突き当たる。
振り返って雲仙普賢岳を撮影する。
展示室に入る前に2Fのレストランで昼食。
島原名物という「六兵衛」のセット(1000円)を頼む。
サツマイモを原料とする麺との事。(→Wikipediaの「六兵衛」参照)
非常食として考えられた食べ物らしく、正直華がないと言うか、食べていてだんだん飽きてきてしまいました。
奮発して、1500円もする「具雑煮」のセットにすればよかったかなぁ。
下記写真の土鍋に入っているのが「六兵衛」です。
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加津佐駅9:41発南島原行に安徳駅まで乗車する。
今回廃止される区間の沿線は意外と家が建っていたりする。
ここよりも人家が少ない路線はいくらでもあるような気がした。
途中から乗車してくる一般客も意外といた。
但し、「島鉄のんびり1500」を利用している人が多かったので、第4日曜日だけの特需なのかも? で、無人駅から乗ってくる人でも「島鉄のんびり1500」を持参していたりする。予め買い溜めしたりしているのだろうか?
有人駅からの乗車であったが、車イスでの利用客がいた。駅員や車掌が手際よく手助けして乗客を乗せ、南島原での乗り換え時の手配の為なのか車掌が本部?に電話連絡していたりした。
当たり前の事なのかもしれないがちょっと関心した。
布津駅辺り(だったと思う)から、進行方向左側に雲仙普賢岳が見え出した。

安徳駅の南側、水無川の鉄橋上から雲仙普賢岳を撮影。
火山が噴火した時にこの中を火砕流や土石流が流れていくように砂防事業により整備されている。
先ほど渡ってきた水無川の鉄橋の直ぐ下流に橋がかかっている。
時刻表を見ると、あと20分で下り列車が来る。
あの橋の上から水無川の鉄橋を渡る列車を撮ろうと思う。
うぅ~ 寒い。
風も強い。
体が冷える~。
早く来ないかなぁ~。
時間になったけど来ないぞ~。
まだか、遅いなぁ~。
ひょっとして強風のため運休?
あぁ、やっと来た~。
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島鉄本社前8:01発の加津佐行に乗車する。
キハ20形1両編成、「乗りに来た!」って感じの人を中心にそこそこの乗車率。ドア付近のロングシート部分に着席した。
口之津駅。
駅の直ぐ前に島鉄フェリーの乗り場があった。
使用した切符「島鉄のんびり1500」ではフェリーの乗車も可能なので、このフェリーを1往復するというのも旅行プランとして良かったかなぁと、この文を書いていて思った。
島鉄本社前から約1時間15分、9:14に加津佐駅に到着。
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2月24日、島鉄本社前発8:01発の加津佐行に乗車する。
予定ではその1本後の8:58発に乗車するつもりでいたが、昨日行けなかった「普賢岳災害記念館」に行こうかなぁと思い、1本前の列車に乗車する事にした。
駅の窓口で切符を買う。
「島原半島遊湯券」(鉄道・バス・フェリー1日乗り放題+指定温泉入浴券: 3000円)を買うつもりでいたが、この日は第4日曜日なので「島鉄のんびり1500」(鉄道・バス・フェリー1日乗り放題: 1500円)が使えるとの事なのでこちらを購入した。
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本日は島鉄本社前駅が最寄り駅の「島原第一ホテル」に宿泊。
割り当てられた部屋は海側だった。
ホテルの部屋からは有明海が見える。対岸の熊本側も見える。眼下には島原鉄道も。
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この日は島鉄本社前が最寄り駅のビジネスホテルに宿泊する予定であったが、ホテルに行くにはまだちょっと時間が早すぎる。
という事で、南島原駅で降りてみた。
風格のある駅舎だった。
駅舎の大きな入口は閉じられた状態で、その横の通用口みたいな感じの所が現在の駅の入口です。

南島原駅には車庫があり、検修施設(でいいのかな?)が併設されている。
いろいろな車両が停まっていた。

駅周辺を散策してみた。
この辺りは入り江が入り組んでいるが、その入り江には水がほとんどない。その水がほとんどない入り江に船が置かれていたりする。今は干潮なのかな? 潮が満ちてきたら海に出られるようになるのかな?

何だか不思議な雰囲気の港だ。実際の所は分からないが、かつては栄えていたみたいな感じの印象を受ける。(間違っていたらごめんなさい...)
南島崎駅に戻る。
待合者に昔の写真が展示してあった。昔は、南島原駅近くのこの港から旅客船が出ていたとの事。なるほどなぁという気になる。
本日の宿は島鉄本社駅が最寄駅だが、今日行こうと予定していた「普賢岳災害記念館」に明日行こうなかぁという気持ちになっていたし、そうすると島原本社前~島原間が未乗車区間で残ってしまうかもしれない。また、夕食を食べるには市の中心駅である島原駅周辺の方が店が多いかもしれない。という事で、島原駅まで行ってみる事にする。
南島原駅から乗車するのは急行・しまばら号。
島原駅に到着。
夕食を...と思っていたが、近くにはラーメン屋しか見当たらず。今日の昼は熊本ラーメンだったので、夕食もラーメンなのはちょっと...。
という事で、結局何も食べずに島鉄本社前駅まで戻り、本日の宿泊先・島原第一ホテルに入庫した。
で、ホテルの近くにもあまり店がなく、結局入ったのはラーメン屋です。
ちなみに食べたのはラーメンではなく、「皿うどん」でした。
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熊本フェリーが休航しているため、熊本港15:15発の島原外港行九商フェリーに乗る。
カモメに餌(というかスナック菓子)をやって遊んでいる人がいるので、こんな事に。
餌をめがけてカモメがぐるぐる回っています。
カモメに餌をやるのは、生態系を壊す事になるのでよくない事なんですよね、確か。
出航時間になり、島原に向けて発車する。
熊本フェリー休航の影響なのだろうか、「特割20」(通常運賃の20%引き)という割引運賃が設定されている便にも関わらず、ほぼ満席状態で熊本港を出航する。
船内は小学生ぐらいの子供を連れた親子連れが目立つ。
船は島原外港に近づき、雲仙普賢岳が間近に見えてきた。
「ここらで外に出て、雲仙普賢岳の写真でも撮ってみようか」と思い、客室から外に出る。
うぅ~ こりゃ寒い。
風も強くて気を付けていないと荷物などが吹き飛ばれそうだ。
島原外港に到着。
ターミナルビルの前ではなく、船の直ぐ横にどこかの旅館の送迎バスが迎えに来ていてちょっと驚いた。(ターミナルビルに寄らなくても送迎バスに乗車する事が出来る。)
乗客は多くても徒歩客の人は少なく、船が到着してもターミナルビルは静かだった。
島原外港からは、熊本フェリー・九商フェリーの熊本港行の他、島原鉄道高速船の三池港行も運航している。この日は強風のため、熊本フェリーの他、島原鉄道の三池港行も休航していた。
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熊本交通センターに戻り、熊本港行のバスが発車する21番乗り場に向かう。
熊本港14:05発の熊本フェリーに乗車する為には、熊本交通センター13:55発のバスに乗らなければならない。
バス停に何やら張り紙が..。
「強風の為、本渡行の午後の便を休航する」旨の貼り紙だった。
島原行は運航しているのだろうかと不安になる。島原行に関して何も貼っていないと言う事は、運航するという事なのか?
それよりも時間になってもバスが来ないことに不安を感じる。
5分程度遅れてバスがやってきた。既にお客が乗っている。あぁ.. 熊本交通センター始発ではなかったのか...。
その後バスは順調に進み、長い橋を渡って、人工島にある熊本港に到着。
ターミナルビルが、自分が予想していたよりもずいぶん小さかった。
ターミナルビルに入り、熊本フェリーの窓口に行く。
「本日14:50発の島原行きは強風の為休航します。隣の15:15発の九商フェリーをご利用ください。」旨の案内を受けた。
がーん~。
予定が...予定が....。
本日は島原到着後「普賢岳災害記念館」に行く予定だったのに。
熊本フェリーは30分で着くのに、九商フェリーは60分かかる。発車時刻も遅いので、島原に着くのは16:15頃。
予め調べておいた島原港からのバスの時刻を見てみると..、到着後何十分か待たないとバスが来ないようなので、「普賢岳災害記念館」に行くのはちょっと難しい。行けないわけではないけれど、最終入場時間(17時)の直前になり、超高速で見学する事になってしまう。
熊本港へのバスの中から熊本フェリーが熊本港に入港しようとしている所が見えたので、自分が乗る予定でいた便から休航になった模様。
という事は、あの時予定を遅らせなければ熊本フェリーに乗ることが出来たはず。
しまった...。
まぁ、九商フェリーも休航して陸をぐるっと回っていかないと島原にたどり着けなくなる事に比べれば、ずいぶんと「まし」ではあるが。
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まだ時間があったので熊本城に行く事とする。
4年前・熊本に来た時にも行ったので2回目。
今回は、不開門から入る事とする。理由は、ラーメンと食べた所から一番近かったから。
・千葉城橋付近から見た熊本城の天守閣。
橋の名前は熊本城のパンフレットで確認。 ....熊本なのに千葉城? 
熊本城は天守閣の屋根改修工事中で最上階に登れないとの事。
そのため、通常大人500円の所、300円での特別価格で入場料金が設定されていた。
旧細川刑部邸との共通入園券は発売停止中。屋根改修工事での一番の収入減は、旧細川刑部邸か? (と、勝手に想像)
不開門から入場する。
現在本丸御殿の建設中で、不開門から天守閣への近道が閉鎖されていた。
4年前に来たときも本丸御殿の建設工事をしていたような記憶がある。その時、この近道が通れたかどうかは不明。
天守閣へ向かう道への途中、熊本市電がよく見える場所があった。
時間がなくなってきたので、見学はほどほどにして熊本交通センターに戻る。
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当初の予定より30分程度遅れて、11:45頃に熊本交通センターに到着。
熊本港13:00発の島原行熊本フェリーに乗車する予定でいたが、このフェリーに乗るためには熊本交通センターを12:00に発車するバスに乗車しなければならない。
昼食を食べる暇がない!
今日の島原での予定は「普賢岳災害記念館に行く事」だけであり、また「せっかく熊本に来たのだから」と思い、乗車するフェリーを1本・14:50発に遅らす事とする。
...この選択が後々に....。
熊本と言えば「熊本ラーメン」か?
熊本交通センターの中に「桂花」と「こむらさき」があった。
「桂花」「こむらさき」共に首都圏にも店があるため、熊本でなくても食べられる。「桂花」については東京の店にはないメニューがあること気づいたので一瞬迷ったが、これらの店で食べるのは止め、他の店を探す。
熊本交通センターそばのアーケード街に入っていく。
....案外ラーメン屋ってないもんなんだな。
あるけど、表通りにはないのか?
先ほど熊本空港からのバスで通り過ぎた「通町筋」を通り過ぎ、やっと見つけたラーメン屋で食べた。
店名が思い出せず、いろいろ調べて...、あ、この店だ、「山水亭」。
スープは美味しかったのですが...、麺が延び延びでした。
この店、最近改装したそうで、インターネットで調べていたら改装前の店の写真が出てきました。あれ? 4年前に熊本に来た時にラーメンを食べた店が、この(改装前の)店だったような記憶が。あら...。
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2月23~24日、長崎県の島原(半島)に行った。
3月末で島原外港~加津佐間が廃止される島原鉄道に乗車する事が主目的である。
まずは飛行機で羽田空港から熊本空港に向かう。
長崎に行くのになぜ熊本空港?
長崎空港行の切符が取れなかったからではない。熊本から船で島原まで渡る計画を立てたからである。熊本空港にはまだ1度も行った事がない(長崎空港は行った事がある)というのも理由の1つである。
羽田空港8:35発のANA 641便に乗車する。
予約済み(座席指定はなし)であったので、空港の自動チェックイン機で手続きを行う。
搭乗券の替わりに、「窓口に行って手続きしてくれ」旨の内容が書かれたレシートが出てきた。???
近くにいた係員に話すと、なにやら奥で機械を操作して搭乗券が出てきた。
座席の残り数が少ないとこうなるとの事。その割りに出てきた席は窓際の席だった。(但し窓の位置が悪い)。予備席なのか?
搭乗口が68番(南の端の方)との事で、2Fの店屋さんが並んでいる所の脇から入る「保安検査場C」に行く。
いかにも「裏口」といった感じで、途中搭乗口があるロビー側とついたてだけで仕切られている箇所があったり、妙な所にトイレがあったり。「建物の設計時は設置する予定がなかったが、後から急遽追加した」と言った感じであった。
ANA 641便はほぼ定刻通りに熊本空港に向けて出発、予め「強い向かい風が吹いているので予定よりも到着が遅れる見込み」旨のアナウンスがあった。
飛行機は西に向かって飛び続ける。
もうそろそろ熊本に近づいたかと思った頃、眼下に滑走路が見えた。熊本空港っぽい。
「風の影響で西側から滑走路に着陸するのかなぁ」と漠然と思う。
だが、いつまで経っても旋回せずにぐんぐんと先に進む。「あれ? あれは熊本空港ではなかったのかなぁ~。 どこの空港だ? 大分? 大分は山の中ではなかったと思うし。もしかして到着地変更?」。
などと思っていたら、これから行く予定の熊本港が見え、この辺りでようやく旋回し、東に戻る。
東に戻る途中、眼下に熊本駅や熊本城が見えた。
で、このまま西側から滑走路に着陸するのかと思いきや、さらに旋回して結局東側から滑走路に着陸した。
こういうものなのか?
阿蘇山とかあるから、素直に東側からは着陸できないのかなぁ。
熊本空港には20分強後れて到着。
熊本空港から九州産交バスの空港リムジンバスに乗り、熊本交通センターに向かう。
一般道Onlyで、熊本交通センターまで40分ぐらいかかる。
自分が乗車したのは古めの観光型タイプのバスだったが、「空港専用」と書かれた真新しいノンステップバス(首都圏等で一般路線バスとして街中を走っているものと同じタイプ)も見かけた。
同じ料金で古い観光型タイプと、新しいノンステップバス... どちらに乗車したいかというと、自分は古い観光型かな...。
それなりに乗車時間も長いし。
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昨日(2月29日)は平均4.12年(←計算あってるかな?)に1度しか訪れない「閏日」でした。
4.12年というのは、「4で割れる年」であっても閏年にならない例外の年があるから。
閏年の定義
・西暦の年が4で割れる年は閏年
・但し、100で割り切れる年は平年
・但し、400で割り切れる年は閏年
自分はプログラマー・SEなのですが、新人研修の頃、この閏年の(例外を含めた)計算をめぐって上司とひと悶着を起こしてしまったのを覚えている。
閏年の例外について、
「自分で調べろ」
「どうやって調べればよいんだ!! (社内にある)コンピュータの専門書には載ってそうにないので、図書館に調べに行っても良いのか!!!!」
みたいな感じで。
今ならインターネットですぐに調べられるかもしれないけど、当時はインターネットはまだ普及していませんでした。
自分は、閏年の産まれです。また、閏日に近い誕生日です。
閏日に産まれる可能性もあったわけです。
もし閏日に産まれていたらどうなっていたのだろうかと、ふと思うことがあります。
小学生の頃なんかは、(12歳であっても)「お前はまだ3歳だ! 保育園に行け!」と周りにいじられたりしたのだろうか。
誕生日のお祝いなんかはどう扱われたのだろう。皆に忘れ去られてしまうのだろうか。次の日の3月1日に祝ってもらっても何だか嬉しくないような気がするし、逆に2月29日がある年の本当の誕生日の日は物凄く嬉しいような気がする。
自分の同級生等に2月29日産まれの人はいませんでした。
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