書籍「東京タワー」
リリー・フランキー氏の「東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~」を読んだ。
あれは「自伝」と言う事で良いのかな? 発売元の扶桑社のHPでは「小説」と記載されていたりするが。
書かれていた事が100%事実なのか、どの程度架空の話が含まれているのかよく分からなかったが、あまり気にしないことにしてこのブログの記事のタイトルは「書籍」とした。
リリー・フランキーさんの「オカン」と自分の「オカン」では生活・家庭環境、夫婦仲、本人の性格等共通点は余りない。リリー・フランキーさんと自分自身の生い立ちや性格等もまるで違う。
リリーさんと自分の唯一とも言って良い共通点は、親元や郷里を離れて東京(自分は正確には横浜だが...)に住んでいる事だ。
それでも、自分自身の「オカン」を思い浮かべながら読んでしまった。自分の「オカン」はどうなのかなぁと。
リリーさんは生前に母親に対してちゃんと「ありがとう」と言えなかったという。そういえば自分も母親にちゃんと「ありがとう」と言ったことはないかもしれない。母の日や母の誕生日に贈り物をしたり手紙を送ったりするもなく、電話をするぐらい。その電話も忘れてしまう事がある。
自分が実家に帰ったときも、手伝いをするような事もなくいつも母に甘えている。実家に帰って母親にしてやる事はパソコン教室(笑) ぐらいか..。
実家に帰った時には、逆に母親から「(帰ってきてくれて)ありがとう」と言われているような気がする。
父親に対しても同様だ。
リリーさんは、「母親と一緒に住んでいた年月 = 母親と別に住んでいた年月」になった頃から、再び母親と一緒に住み始めたと言う。
自分とリリーさんでは母親と別に住み始めた年齢が違う(リリーさんは高校からで、自分は大学から)ので単純に比較は出来ないが、自分もあと何年かすれば「母親と一緒に住んでいた年月 = 母親と別に住んでいた年月」になる。
この事が自分の中でどうしても引っかかる。自分の親ももう歳だ。「再び一緒に住み始める」というのは現実的に充分ありえる話だからだ。
そういえば自分は、自分の母親の事を「オカン」と言った事がない。なんだか恥ずかしい。「おふくろ」とも言えない。「ママ」とも言えない。子供の頃から今までずっと「お母さん」って言っている。
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